フィンランドの学校に行こう!

フィンランドの教育を通して日本の教育を見つめ直す。

フィンランド教育のウソと本当?

フィンランド教育の12の真実

 フィンランド教育に関する情報がネットに溢れていますが、中には誤った情報も流れています。実際のフィンランドの先生のインタビュー記事と私が現地で実際に見てきた情報を関連させながらまとめてみました。

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フィンランドの職員室です。(フィンランドの職員室は「ゆるむ」場所です。)

概要

2016年の秋に、フィンランドの義務教育課程は新しいコアカリキュラムに移行しています。しかし、このカリキュラムは世界の中でも最もより良い教育システムとして注目を浴びているのですが、間違った情報も流れています。フィンランド教育の専門家が、これらの誤った主張に対して、真実を主張しています。

(1)フィンランドに一斉授業は存在しないのか?

主張:

新カリキュラムの中では、子どもたちは全く教室の中で学習を行いません。なぜなら、授業は教科横断的に行われるので、教師は教室の中で一斉授業をするのではなく、教室の外で体験的に学習を行います。

答え:Yes and no.
教科横断型の学習は選択肢の1つであり、教師は、様々な教授法を用いて授業を行うことが重要とされています。教師とは、子ども自身が学び方を見つけることをサポートするenabler(導いていく大人)です。

実際:

フィンランドの学校では、一斉授業も行われてました。日本の学校と比較した時に、フィンランドの学校では一斉授業の時間(教室で座って学ぶ時間)は少ないように感じます。例えば、45分の授業の中で生徒が全員椅子に座って先生の話を聞く時間は10分以内です。「では、残りの時間はどのようにして学んでいるのでしょうか?」

答えはこちらです。(問:フィンランドの子どもたちはどのようにして学ぶのか?)

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こちらの写真は子どもたちの実際の授業の様子です(^^) 

「果たして彼らは先生に怒られないのでしょうか?」

(2)フィンランドの学校には教室という括りがないのか?

主張:

教室という空間は無くなり、オープンマーケットプレイスのような空間に変化しつつあります。生徒はそこで、自分で学びたい科目や自分に適しているコースを選択するようになります。
答え:Yes and no.
教えるということは、必ずしも教室という囲まれた空間で学ぶ必要はありません。しかし、これは学校が、このような空間を選択するのかどうかによります。教授方法は変化しつつあり、子どもたちはある場所に、静かに、座って授業を受ける必要性が無くなってきており、代わりに、子どもたちがどこでどのように学ぶのかを選択できるようになります。新しい学校では既に、廊下や壁のない設備が生まれてきています。将来的には、囲まれた空間は必要なくなるでしょう。学びは、どの環境でも行われます。
実際:

実際に、ヘルシンキの学校では、最近出来た新しい図書館oodiで、授業が行われたりしています。また、以下の写真をご覧ください。これは、フィンランドの中部に位置するouluの附属学校の教室です。この空間は4つの教室の間に当たる部分で、中に入ると、4つの空間が繋がっております。まさに、子どもたちはオープンスペースで学びを行なっております。詳しくはこちらです。

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(3)フィンランドの子どもは好きな教科だけを学んでいるのか?

主張:

フィンランドの子どもたちは、自分で学ぶ教科や量を選択できるので、教科に偏りが生まれ、将来大人になった時にマイナスの影響が生まれてしまう。例えば、算数が好きなので、嫌いな言語の代わりに算数の学習を沢山する子どももいます。

答え:No!
フィンランドの先生は、教科の重要度に優劣はないと考えています。どの教科も等しく重要な役割があり、学校教育の目的は、子どもたちに広く基礎的な教養を身につけることです。

実際:

フィンランドにも、国が定める学習指導要領は存在します。フィンランドでも、日本と同じ教科カリキュラムで、授業は45分授業で行われています。つまり、子どもたちは、同じ進度で学習を進めていきます。その代わり、学習についていけなくなった子は、少人数指導や個別指導を一時的に受けることができます。個別の支援は、各学校のニーズに合わせて校長先生の裁量で、Teaching Assistant(研修制度有り)を雇って行われています。

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(4)生徒は自ら目標設定を行うので、楽をする生徒がいるのではないか?

主張:

生徒は学習目標や宿題を自身で決めるので、高い能力のある生徒が低い目標設定をし、楽をしているのではないか?

答え:No.
学習目標や評価基準は、国家カリキュラムによって定められている。教師は生徒が自ら設定した目標について話し合う時間を設けている。ある一つの課題は、生徒自身が「なぜ、学習に特定の目標が与えられるのかを知らない。」ということである。生徒と先生が、学ぶ目的について積極的にディスカッションを行い、生徒のモチベーションを高めることが重要である。

実際:

同じ課題をするにしても、「生徒自身に一度で目標を立てさせることで、立てた目標に対して責任を持たせること。」を大切にしています。例えば、技術・家庭の授業では、半年かけて行うプロジェクト学習の最初は、生徒に何を作るのかから計画を立てさせます。詳しくはこちらです。

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一目でわかるフィンランドのカリキュラム。先生も、子どもたちも、この教科でどんな力を育もうとしているのか一目で分かります。

(5)子どもは学習集団の中ではなく、興味関心の同じ人とだけ学ぶのか?

主張:子どもは、従来の学習をするためのクラスは形成されず、生徒自身が興味に合う子だけと学んでいる?

答え:No.
教師には、生徒の成長に対して責任がある。学習集団は、国家カリキュラムに定められた学習目標に到達するために形成されるものである。そして、学校は子どもたちが、何をどのようにして学びたいのかに応じて、多様な子どもとの集団の中で学ぶことを願っている。例えば、ある生徒は学習は、友達と話しながらの方が集中できる学習効果が高まる子もいるし、ある子は一人で静かに一人で取り組んだ方が効果が高まる子もいます。

実際

下の写真は、フィンランドの教室の様子です。子どもたちが、何をどのように誰と学ぶのかを選択できる教室環境になっています。友達と話しながら学びたい人はソファに、一人で集中したいこは、一人用の場所に座ります。子どもたちは、毎時間自分の学習効果が高まる環境を自分たちで選択して学んでいます。

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(6)詰め込み教育が終わり、かつて秀才だった子の学力が落ちている?

主張:秀才だった子が、詰め込み教育が終わることで、成績が下がっている現状がある?

答え:Yes and no.
もし、優秀な生徒が暗記だけで良い成績を出していたら、この主張は合っているとかもしれない。もちろん、かけ算九九のような暗記学習も時として大切ではあるが、新しいカリキュラムでは、そのまま真似をするだけの学習よりも、将来必要とされるスキルを身につけることを大事にしている。例えば、学び方の学習や批判的な見方・考え方、対話力、科学技術を使いこなすスキル等の時代の変化に伴い、学校や学びも変化していく必要があります。

実際

世界からPISA学力の好成績で注目を浴びることになったフィンランドですが、学校現場の先生は、このことに関してあまり気にしていません。PISA学力は、あくまでも一つの指標に過ぎず、その結果に拘るよりも、今目の前にいる子どもたちが、将来生き抜く力を育むことを一番大切にしています。実際に今フィンランドでは、人前でプレゼンをする力に課題感を持っており、全ての学校で年に一回プロジェクト学習をすることが義務付けられています。

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(7)子どもの主体性を尊重するあまり、子どもたちは無計画に学習している?

主張:主体性を尊重するために、これまで効果的と証明されていた教授法は全て廃止され、子ども達は無計画な学習で時間を無駄にしている?

答え:No.

世界中の多くの人々は、フィンランド社会主義国で、ヘルシンキの権力のある有力者が、国民全体のするべきことを決めていると思っている。フィンランドと諸外国の一つの大きな違いは、先生、学校、地方自治体に、何をどのように教えるのかを決める大きな裁量権があることです。

実際

こちらは、あるフィンランドの小学校の教室です。フィンランドでは各学校ごとに独自の教育方法や教育環境が整備されています。私が働いていたIislamiという町の小学校も1つ1つの小学校に特色がありました。ある小学校は、モンテッソーリ教育という「遊び」を通して子どもの主体性を育む教育とフィンランド教育のカリキュラムを融合させて授業を行なっていました。しかし、各学校に特色があるのにも関わらず、親は「家から一番近い学校がその子に合った学校」と認識しており、学校の特色の違いにより、親からのクレームが出たり、学校の近くに引っ越すことは起きません。学校に大きな裁量権があり、独自の授業を行なっても、国民全体が「先生」一人一人を信頼しているからこそ成り立っているシステムになっていました。詳しくはこちらです。

フィンランド教育の教室

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モンテッソーリ教育の教室

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(8)宿題が全くない?

主張:宿題が全く出されない?

答え:No!
フィンランドの学校は、学校での学習時間が諸外国と比較すると短いので、家庭での少しの学習は学習習慣と定着と記憶の定着のために重要と考えている。

実際

実際にフィンランドの学校の校長先生に質問をしていました。「子どもにとって、大切なことは何ですか?」校長先生は「①睡眠 ②朝食 ③宿題」と答えていました。宿題がないのに、学力が世界一と騒がれたフィンランドですが、毎時間の授業の終わりに、復習を目的とした宿題がしっかり出されています。また、宿題をしてこなくて、先生に叱られることもないので、宿題に対する子どものストレスは少ないように感じます。宿題は、記憶の定着と学習習慣の確率が目的で、余った時間で、子どもたちは地域のスポーツコミュニティで好きな趣味に没頭します。この時間的なゆとりが、世界一のスポーツ人口、読書量、学力に繋がっていると感じました。

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(9)テストや試験はない?

主張:テストや試験はない。

答え:No.
評価は指導と支援に深く結びついている。成績はテストの結果だけでは評価されない。あくまでもテストは学習の一部であり、学習の軸とは捉えていない。子どもたち一人一人が持っている能力を、プロジェクト学習や口頭のプレゼンでも測ることができる。そして、もし一度失敗しても再度挑戦し、学習過程の中で学ぶことが大切である。

実際

フィンランドでも、単元の終わりごとにテストは実施されます。しかし、子どもたちはテストのために学習をすることはありあせん。子どもたちは、日常的に、授業の中で学び、家で宿題をして、テストに望みます。テストが返されて一喜一憂する姿も日本程はありあせん。テストは、他人と比較するものではなく、自分の現在地を知り、次に活かすためのものであると先生は子どもたちに繰り返し伝えていました。この小さな積み重ねで、子どもの学習への自己肯定感が大きく下がる前に、学校と過程でサポートしています。ゆとりを持って学習支援ができるのも、小学校の内申点が受験の内申点に影響することがないので、親もテストの成績に大きくこだわらないからです。それよりも「幼少期・児童期にしかできない学び=遊び」に価値を置いて子どもたちは伸び伸びと過ごしています。

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(10)教師は時代の変化に全て一人で対応できなければならない?

主張

教師は、カリキュラムの変化に応じて、プログラミングのような新しい教科にも、全て完璧に対応できるようにならなければならないのか?

答え:No.
新しいカリキュラムは、教師にとっても、これまでの教授法を変化させる挑戦を生む。変化には時間がかかり、一番困難なのは、教師自身の役割の変化である。教師は、もはや情報の伝達者ではなく、生徒も受動的な学習者ではありません。私たちは、時代の変化に伴い、マインドを変える必要があり、学校は、教師も生徒も共に学び合うコミュニティースクールになることを望んでいる。これからの時代に入ってくる科学技術やプログラミングのスキルも既存の教科と一緒に学ぶ必要性が出てくるだろう。専門家を入れて対応も1つの手段である。

実際

フィンランドの学校現場は、「チーム学校」という考え方が根付いていました。例えば、問題を抱えている生徒は、教職員全体で情報を共有し、小学校であっても技能教科は、教科担任制を導入したり、プログラミング等は外部の先生を校長の裁量で導入していました。このように、先生一人で全てを行うのではなく、学校や地域の中にあるリソースを最大限に活用して、子どもの教育を行なっていました。

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(11)生徒の主体的を重んじる分、先生は生徒の学習定着に責任はなくなるのか?

主張

生徒の主体性を重んじるフィンランドでは、「自由」と共に生徒に学習への「責任」があるので、学習に困難を抱えている生徒は認知されないだろう。

答え:No.
フィンランドの教師は質の高い教員養成課程での学習経験を積んでおり、生徒のサポートをすることは教師の仕事と認識している。主体的な学びを尊重することは、生徒が学習への責任を全て持つことを意味するのではなく、寧ろ、教師はこれまで以上に一人一人の生徒に寄り添うことが求められるだろう。

実際:

フィンランドでは、年度内の後期になると、多くの授業でPBLを導入している。PBLでは、生徒は主体的に学習に取り組みます。例えば、技術の時間においては、「自分が何を作りたいのか」からを1から決めて作成を始め、音楽では0からグループで作詞作曲を行います。集団指導では、クラスにいる生徒全員が同時に同じ内容の学習を行うので、1人の先生で授業を行うことができるのですが、生徒の主体性を大事にする授業では、より生徒のニーズが多様化し、サポートを行う先生の数が必要になっていました。ですから、フィンランドでは後期になるとTAの先生を雇い、子どもの学習のサポートを行なっていました。子どもは自ら学べる環境に活き活きとしていました。f:id:hamu-cute120:20190619224343j:image

(12)新しいカリキュラムはVISA学力の低下に繋がっているのか?

主張:

フィンランドの新カリキュラムは、教育システムに置けるPISA学力の優秀な結果を歴史のゴミ箱に捨てることになるのではないか?

答え:多分そうだけど、それが何か大きな問題でも?
フィンランドでは、PISA学力の順位の重要性に関しては、重要な価値はないと捉えている。そもそもPISAのテストは、血液検査のようなもので、私たちが向かうべき道を時に示してくれ、ずっとPISAの結果に拘る必要はないと考えている。大切なのはPISAで好成績を取ることよりも、子どもや若者が未来で必要とされる力を育めているかである。

実際:

実際にフィンランドでは、時代の変化に合わせて、新しいカリキュラムの導入を行われています。フィンランドは、人口が500万人ということもあり、早いスピード感で学校現場に変化が生まれています。知識技能よりも、生徒の主体性に教育の軸の舵が切られた時、学校現場には大きな混乱がありました。しかし、実際に子どもたちが主体的に学ぶ姿を見て、この「学びに向かう力」こそ児童生徒が大人になった時に、本当に必要な力であると現場の先生は納得していました。また、年に一回行われるEDUCAのイベントで、国全体の学校の評価を行なっている方からも同じような話を聞きました。PISA学力は確かに近年下がってきているけれど、フィンランドではまったく気にかけていません。それよりも、この子たちが将来生き抜く力を育むことこそが私たち教育者の役割である。」と話していました。

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最後に

ここまで、フィンランド教育について世間が偏った見方をしている点について、実際のフィンランドの先生のインタビュー記事と私が現地で実際に見てきた情報を関連させながらまとめてきました。

私が思う大切なことは、今の日本の教育環境と向き合う中で、フィンランド教育だけでなく、批判的に物事を捉えることだと思います。

日本にいると、当たり前の価値観からなかなか離れることが難しくなります。

① 学校は行かなければならない。

② 勉強は受験やテストのために行われる。

③ 分からないことは先生が教えてくれる。

「でも実際はどうでしょうか?」

世界に目を向けると、学校に行かなくても、しっかり学習している子もいます。入試がない国もあります。分からないことは、自分で調べる習慣を大切にしている国もあります。もちろん教育に1つの正解はないですが、今目の前にいる子どもや教育環境に関しても、多様な角度から考え、論理的・客観的に捉えることが大切だと思います。

 

ここまで読んでいただきありがとうございました。

▼実際に東京で皆さんとお会いすることを楽しみにしております。

(詳細は写真をクリック)

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