「人生に疲れたら立ち止まってもいいんだよ。」
「走り過ぎたから休養!とりあえず何も考えない!」
フィンランドに無事に着いてホッとしたのもつかの間、本日朝起きたら熱が39度まで上がっていました。出発前の体調不良から、航空券のトラブル、そして高熱と今回は盛りだくさんです。
自分の中では1)インフルエンザか2)1ヶ月間走り続けたストレスのどちらかだと思っていました。
今は、ホストファミリーと一緒に過ごしているので、とても安心しています。
1日中睡眠を取り、午後はホストファザーが病院に連れて行ってくれました。海外の病院にかかるのは今回が2度目です。(1回目はカンボジア)
やはり海外に行くときは、①保険②英語力が大事だと感じさせられました。
「なぜ、英語を勉強するのか?」
沢山考え方はありますが、「自分の命を守るため」に英語は必要だと感じました。
病院の先生とのやり取りは「英語」です。海外に行くということは、体調を崩すリスクがあることを心に置いていないといけません。
また、保険についても必ず入る必要性を感じました。最初は、海外に行っても体調を崩すことは殆どありませんでした。しかし、カンボジアでは100万円近い病院代を払いました。保険は使わなことに越したことはないけど、海外に行く際は必ず保険に入ることが重要です。
さて、本日病院で先生に診断されたのは「副鼻腔炎」でした。
「副鼻腔炎」で41度も熱が出ることに違和感がありました。
これは、カンボジアでも同じような経験がありました。
血液検査、レントゲン検査、何をしても「異常なし」
私にとって初めての留学経験。初めての環境。異文化の環境。
村には日本人が一人。一番大変だったのは「言語が通じないストレス」
カンボジアに来て僅か2週間で、突然の40度の高熱が1週間続きました。もちろん日本人は村に一人なので恐怖で押しつぶされそうになったのを覚えています。慌てて、解熱鎮痛剤を飲みました。しかし、熱は下がる気配はありません。自分で救急車を呼ぶために、保険の証書に書いてある電話番号にかけますが、電話は繋がりません。
「もうだめだ。」正直思いました。「死ぬかもしれない。」
「明日が来て欲しい。」ただそれだけを祈り、睡眠につきました。
次の日になっても、熱が下がることなく、村の病院に行くことになります。解熱鎮痛剤を点滴で打つこと8時間、40度もあった熱が、35度まで下がりました。
「下がりすぎだ!!!笑」
「これで大丈夫だね!」とホストマザー笑
「いやいや大丈夫じゃない。」
(内心思いつつ、でもホストマザーの言葉に安心する自分がいました。)
海外では、本当に多くの人に支えられて「生きている」ことを感じます。
「自分一人では生きていけません。」
しかし、熱が下がっているうちに都市部のインターナショナル病院に向かいました。
病院についた時には、解熱鎮痛剤が聞いており、熱は僅かに36度。
「異常なしです。帰っても大丈夫ですよ。」とお医者さん。
しかし、私は分かっていました。
夜になると、激しい頭痛と高熱に襲われることを。
「うーん。。。。」とお医者さん。
何とか押し切り、入院することに。
「今帰ったら死んでしまう。」危険を感じていました。
そして夜になると、謎の40度の高熱と激しい頭痛に襲われます。
血液検査、レントゲン検査、何をしても「異常なし」です。
病院の先生も困っていました。私も不安でした。
このまま「日本に強制帰国?」頭の中で何度も過ぎりました。
しかし、今帰ったら大学からの奨学金が全額返還になり、2年間留学準備して来たものが全て無くなります。「絶対帰らない。」ずっと心の中にありました。
そんな時の家族の一言「日本に帰って来てもいいんだよ。」
この時に、自分の中にあった「とてつもない」プレッシャーの糸が「ぶちん」と切れたような感覚になりました。そして、今まで苦しんでいた頭痛と高熱が一気に引き始めました。
私は、気付かないうちに「ストレス」を抱え込むことがあると学びました。
今フィンランドにいる私の状況はまさに、そんな状態です。
「副鼻腔炎」という名の「休養の緊急サイン:ストレス」でした。
フィンランドに来て「一気に安心したこと」が今回の高熱の原因だと思います。
「やっと休めるね。」体が私にそう教えてくれています。
カンボジアの経験があったからこそ、この体調不良もすぐに治りそうです。
私は、自分自身の経験からも「頑張りすぎる人」に伝えたいことがあります。
「疲れたら休むことが大事。」
「休んで、また歩き出せばいい。」
「出来ないことがあってもいい。」
「弱さがあってもいい。」
「人生に疲れたら頑張ることをやめてみる。」
「力を抜いて生きればいい。」
自分に言い聞かせてゆっくり今は休みます!
モイモイ!!!